シースの物理


プラズマと固体の境界に形成されるシース(静電鞘)はラングミュアーの 時代から研究の対象であるが、いまだに(現実のプラズマ境界に対して) 十分に理解できたとはいえない。 プラズマ物理の多くの教科書でシースのモデル計算が紹介されていますが、 現実的なプラズマパラメーター、固体表面の条件等を十分に反映したものではありません。 ここでは、通常のテキストで 扱われているボーム条件が、現実のプラズマではなぜ不完全(モデル化の極限の 近似)であるかについても解説する。

シース

プラズマと固体が接する境界面では、プラズマ側からは電子やイオンが流入するに もかかわらず、固体側では荷電粒子が吸収されているためプラズマに向かう粒子束は ない。従って、この領域では異方性があり、通常の流体モデルが破断する。 また、イオンと電子の大きな質量差は大きな熱速度の差を生み、 固体は負に帯電し、電気的準中性が 破れていて強い電場が生じている。この領域をシースと呼ぶ。

プラズマの準中性の破れの代表的パラメーターはデバイ遮蔽長さ λD=(ε0Te/n e2)1/2 で与えられる(点電荷の作る電場はおよそλDまでしか届かない) ので、シースの大きさもλDの10倍程度である。 これはプラズマ自体の大きさに比べて極めて小さい。

便宜上、「シース端」という用語が使われ、それよりプラズマ側をプレシースと 呼ばれることがあるが、これの定義が必ずしも明確ではなく、現実には プラズマ領域からシースは連続的につながっている。(従って、シースの大きさや 厚みという量も定義に注意する必要がある。)

固体壁でプラズマ密度がゼロであるとすると、粒子束が保存する 状況では流速は発散する。(u=Γ/n) また、ボルツマン関係Φ=Φs+(Te/e)ln(n/ns) から、電位も発散する。(ただし、両者の発散が同じ位置、つまりシース端で起こるという 保障はない。)


ボーム条件の導出

イオンの熱運動を無視し、定常状態のイオンの粒子保存則(ni(x)u(x)=Γi) およびエネルギー保存則(miu(x)2/2+eΦ(x)=eΦp) から流速uを消去するとイオン密度は各点での電位Φ(x)の関数となる。
ni(x)=nsus/u(x) =ns ((Φps)/ (Φp-Φ(x)))1/2

イオンはシース内で加速されるため、niはシースに向かって減少する。 他方、電子密度もボルツマン関係により電位Φ(x)または 規格化された電位深さ φ(x/λD)=-e(Φ(x)-Φp)/Te の関数となる。
ne(x)=npExp(e(Φ(x)-Φp)/Te) =nsExp(-(φ-φs))

ここで、シース端でのプラズマ密度はns=npExp(-φs)で、 プラズマ内部の密度npより小さい。これらの関係式を 電位を決定するポアソンの方程式 d2 Φ/dx2 = -e(ni-ne)/ε0 、あるいは両辺にd Φ/dxをかけて積分した式に代入し、シース内の電位分布を決定する式
(d φ/dx)2 - (d φ/dx)2s = (1/λD)2φsφ (-ni(φ') + ne(φ')) d φ'
= (nsD2) ∫φsφ (-(φs/φ')1/2 + Exp(-(φ'-φs))) d φ'
= (nsD2) (-2φs((φ/φs)1/2 -1) -( Exp(-(φ-φs))-1) )
を得る。

ここで、(イオンの空間電荷が優勢なイオンシースが形成されているならば) シース端の電場(左辺第2項)はシース中の任意の位置の電場より小さいから 左辺は正の値をとる。したがって、 シース端のごく近く(φ=φs+Δφ)で右辺の括弧の中を Δφの2次の項まで展開すると、
Δφ2φs/2 - Δφ2/4 ≥ 0
即ち、電子温度で規格化されたシース端の電位の深さが0.5以上1(φs ≥ 1/2) であることが要請される。

このとき、シース端でのイオン流速は
u=(2e(Φps)/mi)1/2 =(2Teφs/mi)1/2 ≥ (Te/mi)1/2
の右辺で定義されるボーム速度を超えていなければならない。 ところで、ボーム速度はイオン温度がゼロの時の イオン音波の伝搬速度(イオン音速)に等しく、プラズマ中では流速はこれより 小さくなければならない。(流体方程式の解が発散し、衝撃波が形成される。) 従って、イオン流速はちょうどシース端でボーム速度 uB=(Te/mi)1/2 に達すると考えるしかない。 このとき、シース端のイオン密度nsは プラズマ主要部のExp(-1/2)=0.61倍で、固体表面に達するイオン粒子束密度 Γi=nsuB はプラズマの密度と電子温度のみで来まる。(イオン温度は関与しない。)

これに対し電子粒子束Γeは 固体の電位で変化する。 特に、電子とイオンの粒子束密度(より正確には電流密度) がちょうど一致する時の電位(プラズマ電位との電位差)を浮遊電位という。


ボーム条件の検討

ボーム条件はシースの物理で最も重要な概念であるが、その導出や適用には 様々の仮定がなされている。これを認識しないで現実のプラズマに適用することは、 慎まなければならない。
プラズマの電位
多くのプラズマのテキストではプラズマ電位をゼロとしてボーム条件の 導出を行っているが、固体壁の電位を変えて電子粒子束密度を制御する場合(プローブ測定など) に適用することができない。(電位の基準は任意に決めることが出来、電位差のみが 物理的に意味を持つ。) また、プラズマ電位を基準にするとすべての位置で負の値を取るために 不等号を含んだ計算ではミスを誘発しかねない。

そのため、上記の導出では、プラズマ電位を明示し、式の導出で電位差が表れるようにしている。 Φp=0とすれば、多くのテキストの式を再現できる。

シース端の電場強度
シース内の電位分布を実際に求めるためには、境界条件として d φ/dxの値を指定しなければならない。(密度が電位を通してのみ座標に依存する のであれば、固体表面の電位は決定できるが、シースの幅は決まらない。) これは、本来プレシース側で指定すべきものであるが、プレシース自体が ある種のモデルにすぎず、このためシースの電位分布は不明瞭なままである。

多種イオン、多価イオン、分子イオン、ダイマーイオン
プラズマ中に複数のイオンが存在すると、ボーム速度の値がイオンごとに異なることになり、 シースの形成条件が不明瞭になる。(イオンごとの粒子束が一定の比率になった時にのみ安定?)

プロセスプラズマではイオンはすべて1価イオンと考えて良いが、核融合などの 超高温プラズマでは多価イオンが存在し、電流密度の評価に注意を要する。

大気圧希ガスプラズマでは単原子ガスがダイマーイオンを形成するため、質量は もとの原子の倍になる。このほか、分子イオンが存在するような場合も 質量の評価は注意を要する。

負イオン
シースの理論ではイオンに比べて十分に軽い電子の存在を大前提としているが プロセスプラズマでは様々な負イオンを利用することも多く、時として正イオンより重い 負イオンが支配的であるような状況も考えられる。

なお、電子と負イオンが共存する負性プラズマでも、負イオンの温度は電子温度に比べて 十分小さいため、電位構造が2段階になるという実験的報告もある。

イオンの温度(速度分布)
プラズマ中のイオンはイオン温度に相当する速度分布の広がりを持つため 、これを考慮した一般化されたボーム条件を使わねばならない。(特に、イオン温度の 大きな核融合プラズマの場合)

(1/ns)∫0 (1/v)2 fi(v) dv ≤ mi/Te

この式は、静止したイオンが存在すると安定なシースが形成されないことを意味する。 従って、イオンの速度分布はマックスウエル分布からは大きく変形せざるを得ず、 温度そのものの定義から見直す必要がある。

また、有限なイオン温度の場合にボーム速度が イオン温度の寄与を含めたイオン音速 cs=((Te+γ Ti)/mi)1/2 に等しくなるという保証はない。

電子の速度分布
プラズマの生成法によっては、電子の速度分布が単純なマックスウエル分布でなはく て高温成分を持つことがよくある。 この場合、Teff=((1-α)/Tc+α/Th)-1 で定義される実効温度を電子温度の代わりに 使う必要がある。

また、 固体が正にバイアスされて電子の流入が増加している場合は、 シース電位で反射される電子が低速側まで広がってくるので、シース端での速度分布は 高温側が大きく打ち切られたマックスウエル分布になる。

イオン反射、二次電子、熱電子
固体壁に到達したイオンや電子は完全に吸収されるわけではない。 反射されたイオンはエネルギーが小さく固体近傍にとどまるが、二次電子(負イオンも)はプラズマ側に 逆流し、空間電荷の分布に影響を及ぼす。

また、イオンや電子の流入で固体の温度が上がると熱電子の放出が無視できなくなる。

固体電位
固体が絶縁体、または孤立した導体であれば浮遊状態になり、シースの電位分布は 固定されるが、真空チャンバーに入れられたプロセスプラズマではこのことは 成り立たず、特に電子電流の評価には注意を要する。

中性粒子
大気圧放電プラズマではシース内での電子やイオンと中性ガス分子との衝突が 無視できず、衝突性シースの問題を考えなければならない。

また、励起原子も多数生成され(通常、プラズマ密度よりずっと多い)、 熱電子放出を助長する可能性が指摘されている。

磁場
固体表面に斜めに向いた強い磁場が 存在するようなダイバータープラズマでは、磁気シースが形成される。

時間変化
高周波電源などを用いて生成したプラズマは パラメーターが時間的に変化するためにシースの構造(電位分布)も伸縮する。 従って、シースの幅を一意的に決めることはできない。

液体
近年、液面に大気圧プラズマを照射したとき、液相側にも 一種のシース構造が作られていることが報告されている。


チャイルドラングミュア則

本来は二極真空管内の電子の空間電荷を考慮して電流電圧特性を説明する理論式。 もし、固体壁の電位が十分に負にバイアスされていれば、イオン電流について 同様の式jCL =(4ε0/9)(2e/mi)1/2sw)3/2/d2 が成立する。 これを、ボーム粒子束に相当するイオン電流密度に等しいとおくと、 シースの幅dの見積もりが得られる。
d=((4ε0/9)(2e/mi)1/2sw)3/2/(0.61enuB))1/2 =0.59λD(2e(Φsw)/Te)3/4

ただし、 このような単純な取り扱いは、浮遊電位近くのバイアス条件に限られることが、最近 高村らによって指摘されている。(「境界領域プラズマ理工学の基礎」)また、シース端そのものの 定義も曖昧であることから、上記の評価式は定性的傾向を示すだけのものであると考えた方がよい。


運動論、一般化ボーム条件


PICシミュレーション


自己バイアス電圧

プラズマプロセシングでよく用いられている高周波放電は、一般に高周波電極の面積が 接地電極(真空容器壁)よりずっと小さい非対称放電であるため、 高周波電極側に負の直流電圧が発生する。また、 プラズマ中に挿入した基板に高周波をかけることによっても 直流バイアス電位差を発生させて、表面反応の促進、異方性エッチング、薄膜改質などに 用いることが出来る。

自己バイアス電圧は、高周波電圧の1周期の正負の電流がちょうど打ち消し合う様に 決まる。接地電極が十分大きければ自己バイアス電圧の大きさは 高周波電圧の振幅に等しく、容易に制御できる。